fc2ブログ
土の下では生き物が外の世界を待ちきれなく。ソワソワしていることでしょう
この状態を「啓蟄」と言うのでしょうか?昔の人の表現。語彙の素晴らしさ。

大人になるのが待ちきれない若者このような違和感と期待、どう名付ければ
いいのでしょう?

宮島は自粛の呪縛から解放され、朱の大鳥居の修復が待ちきれなくて
、「早よーせえや!」のお叱り、200年先まで立ち続ける「大鳥居」その誇り
と意地を見せる職人の腕の見せ所、歴史と木材の実証実験の場でもあるのでしす。
沽券にかかわる大事業、中途半端は許されない「朱の大鳥居」なのです
宮島の鹿の命もしかり、何があっても守る不動の「宝」の一つです。

長浜14頭、福祉センター下36頭、杉之浦神社41頭、波止場と手前28頭。

グランドに入れない「グランド」の鹿100頭!山の中、入浜挌10頭、ぐるっと
廻って谷原(やつがはら)20頭、紅葉谷21頭、トイレ横9頭、おなかペコペコ
で待ってます。
R4-3月13日紅葉谷-1
紅葉谷、帰宅後カメラが見つかりません。あわてて宮島に再渡航グランド横、入浜、
探すも残念ながら今回は写真なしです。相すみません。
R4-3月16日紅葉谷-2
紅葉谷、鹿爺ちゃんのスマホから。

全国の支援者様(匿名様を含め)頂いたご飯(コーン、ラビットフード、大麦
ティモシー(牧草)ヒマワリが命の支えです。
アンチ様からどんぐりは食べないと宮島の生態系が狂うと、しかしこの14年間、
今だ新しい草木の出現を見ません。私たちの給餌場所で1本でも発芽し成長している
苗木見たことありますかと尋ねるとまだないの返答。地表に残るはどんぐりの皮だけ。
足が欠けた個体、目を負傷した個体、毛皮の哀れな個体、春を前に修復中
の体、「ありがとあります」を花束にして贈りたい鹿達です、感謝しています。


ウクライナの現状に近い宮島の鹿達の日々、、せめて「食」の為芝地を拡大
芝地への施肥をやって下さい、鹿が自立して生きて行ける「食」を用意して
やって下さい、観光利用している「宮島」のそれは最低限の責務と心得てください。

昔の出来事です、桟橋前の広場若者から鹿せんべいは何処で売っているのですかと、
給餌禁止でいま売っていないのですと、答えると、社会人になって仕事が一段落したら
修学旅行できた宮島の鹿が思い出されました、また会いたいなとやってきたのですが
と言って去って行きました。
給餌終わり帰宅後夕方の民放テレビ宮島のインタビュー場面外国の方が答えるに
何に驚いたかって、自分の国では100Mも近ずけないのにここでは触れたんですよと、
興奮気味に答えていました。
やつがはらで給餌している時、学校の先生と思われる方が話しかけてきました、1泊の
修学旅行夕食どき余った野菜を鹿にあげようやとの声で、私もわたしもと集め始めました、
すると仲居さん、宮島は鹿に餌をやっちゃあいけんのよと止めさしました。このことが
後日、職員会議で話し合われ、結果子どもたちの優しさを大事にしたいと、次回は
他を検討することになったのだと話してくれました。

「鹿」から受けている恩恵に対してあまりに薄情、14年間も給餌禁止は言語道断
以前の年間2000万円のお金はどこへ消えたの?


宮島=「命をいつくしむ島」、宮島に現状回帰しませんか?多くの支援者様と鹿の
切なる願いです。一考をお願いします。
スポンサーサイト